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ゼネコンを九ヶ月で辞めた話

この日記はKMCアドベントカレンダー2016の13日目記事です。


前日は、sorah先生のsystemd-nspawn で portage の binary package (binpkg) ビルドをいい感じにする - diary.sorahでした*1

去年もポエムを書いていましたが、今年もポエムを書きます。進化がないのか・・・。

いいわけ。

なんでポエムを書くのか、それは忙しくてプライベートのアウトプットが殆どなかったからです。最後にアウトプットしたのはZabbixで電気の使用ログを取る話で、それ以降ほとんど進捗がありません*2


言い訳はこの程度にしておいて。

わたしは新卒でゼネコンに入って九ヶ月(2016年1月末)で辞め、今は都内にある小さなソシャゲ会社でサーバの面倒を見たりしています。

ということで、およそ10ヶ月遅れの退職エントリです。退職直後は正直思い出したくなくて、ようやくTwitterのログを目にできる程度には精神的な整理がついたという感じ

TL;DR

  • 配属されたトンネル現場でサビ残要求されて戦ったら本社送り
  • 本社の橋梁部門で数千枚の紙色塗りで疲れ果てて転職

そもそもなんでゼネコンに入ったのか

こういう事態になったので各方面から聞かれるのですが、わたしはトンネル掘りたくて大学に入ったんですよね。根源的にはなんかでかいの作りたいってのがあって、トンネルは「でかいし長く残るやろ」という感じですが。

なので、土木卒でゼネコン行くのは特におかしくはないわけです。就活も色々あったし単位も危うかったのでラボではボスには「就職とかいいから卒業のことを先に考えろ」と怒られましたが。

で、配属先ですが特にトンネル掘りたいという主張はしないで「通勤電車乗りたくない」と言ったら北海道のトンネル現場になりました。

トンネル現場

トンネル現場に配属されて、やったのは現場監督の下っ端。実際に重機動かして作業するのではなく、作業する人たちに削ってもらう場所を教えたり、コンクリ型枠の高さを合わせたり、トンネル内の座標を延々測ったり。


配属された現場は7時と19時がシフト交代で、その時間の朝礼に職員も行くのですが、何故か給料付けないとか言われて怪しい煙がぷすぷす。仕事じゃないのか、仕事じゃないなら何故現場に行くのか、朝礼に出てるのは何故なのか、と反論すると話が沙汰止みに。

周囲の職員とか作業員さんと価値観は合わないのでプライベートはひたすらゲームしたり(車を貸与されてからは)洞爺湖見てましたが、それはそれとしてしんどいながらも体を動かすのはそれなりにやりがいを感じていたわけですが、6月に再度のサビ残要求が来て炎上。

所謂サビ残を要求されて当然反論。命張って毎日現場に入って鏡*3と対面してるのに給金ケチるとか親方として最低限のことをしてないに等しい。

「それは誰の前でも主張できるのか」とかなんとか言っても通らなくて頭にきたのでICレコーダ買ってきて勤務時間内の全発言を録音することにしました。

現場レベルでは相手が感情論ににげてお話にならないので、本社に噛み付く。

最初は人事部に文句言ってましたが、面談しに来た支店の部長に和を乱してるとか意味不明な発言をされて更にヒートアップ。「それは人前で説明できるのか?」「法律遵守は社会における存在として最低限のことではないのか?」と反論するも、「法律は最後の手段」とか言われて情けなさすら。この辺録音してあるので労基に持っていくしかないか、でも労基も倶知安だから遠いよな、とか思ってました。

この時点で転職を考えていましたが、なんせ北海道の山奥なのでまずこの状況をどうにかしないといけない。

内勤では不毛なタスクを坦々をこなして精神がゴリゴリ削れてゆくも、サビ残の怒りがすべてを吹き飛ばす。



人事に食いついても埒が明かないので本社の部長(京大卒の先輩社員)に狂ってるとメールを打ち込んだところ、飛んできて「トンネルはどの会社もこんな状況なので何処か別の部署に転属しよう」という話になり、めでたく(?)東京へ転属することに。



そして、東京の本社で橋梁の解析やら照査をすることになりました。

橋梁の仕事


何故かこの業界は、受注した際に渡される書類が未完成なんですね。土木は自然相手で最初の設計図通りにぱちっと作れるわけはないなどの理由から、設計図の確認をする照査というのがあるんですが、ここで見つかる項目がひどいのなんの。

図面にタイトルや番号が入ってないとかは可愛いもので、普通に左右コピペしたのでずれてるとか鉄筋の数が合わないとかそういう事態がぎょうさんあります。で、設計の根拠となる計算書PDFを元に照査をするのですが、この計算書も未完成なまま渡ってきます。例えば図面が入ってなかったり、Excelの計算が#DIV/0!なままPDFに貼ってあったりします。PDFってのが救いがなくて、再利用性ゼロ、電子納品でも何故か最初の計算Excelファイルは入ってない。BIMとかCIMとか言う前に生データ添付しろ。


www2.hatenadiary.jp
仕方ないので解析結果をもう一度再現するためにもう一度設計用の計算ソフトウェアに打ち込むんですが、何故か周囲がみんな手入力してて発狂しかける。根性で腐ったPDFから吸い出しVBAで変換して入力して結果を送るも徒労感。

「設計コンサルに元データもらうのが筋では」と上司にいったら「それは発注者を通さないの出来ないので最初の三者会議までは無理」とか返ってくる。数十キロバイトのファイル一個貰えば一時間もかからないのに一週間以上かけてデータファイルを再生成するような生産性の低い状況を何故座視するのかワケガワカラナイヨ。

www2.hatenadiary.jp

また、新小岩の寮から電車通勤生活になり、圧縮されるわ目の前で電車が人撥ねるわで精神がゴリゴリ削られる。

そして、サビ残騒動は自分だけではないことを知る。

計算機を使って仕事をしているのに計算機をまともに使えていない状況、会社の飲み会で「目の前の黒箱をプリンタにしか使えんのなら今すぐ窓から投げ捨てろ」って酒の席で叫んだ記憶がある。

入力したものを打ち出したものと、計算書PDFが一致しているということを目grepした上で色塗りするというわけのわからないことを二週間ほどやる等、人間性が崩壊してた。


この辺の記録が断片的なのはだんだん精神が不安定になってきたからですね…。

転職サイト登録するも微妙な感じで、閉塞感。


そして、11月になってNFで京都に帰る。

京都返った際に「まだ正気なうちに精神科行け」ということで診断を受けたところ、「典型的な抑うつ」。「全力で定時退社してるんです」と医師に話したところ、「それはとても大事なことなので必ず守ってください。」とのコメント。この重さを、翌月知ることに。

ちょうどこの頃、ようやく転職の話が具体化。

遙かなり成田遠征

橋梁の仕事なのは変わらないのですが、橋梁関係で実験をするということで、しばらく成田の研究所通い。

しばらく本社に行かないので引き継ぎをしたんですが意味の分からない言葉を渡される。

結局、毎日片道2時間かけて、肩を壊した。研究所は博士号とか技術士を持った人ばかりなので、話は通じるものの如何せん物理的な距離が遠くて完全に疲労が限界を超えた感。


通勤時間についてわたしの見解はこちらです。

12月になって、今の会社に内定を貰って、退職を伝える。

当初は12月末退職の予定でしたが、入社一年目だったか二年目の退職は社長承認がいるとか言われて1月末に延ばされる。

たった一日の延長戦

そんなわけで1月もゼネコン職員でしたが、初日に疲れ果てる。



そして2月から、会社の近所に引っ越して徒歩通勤生活をしています。

まとめ



建設業界、ITと違ってやめた人の話が全然なくて不健全だなぁと思っていたので、退職エントリっぽいものを書きましたが、ほとんどTwitterの発言並べただけですね。

どちらも同じ「エンジニアが働く業界」なのにこの断絶はなんなんだろうってよく思います。


ゼネコンの転職先でいちばん人気なのは地方自治体と聞きました。全国転勤することもなく、適度に家族との時間を取れるからなのかなぁと思ったり。

そういえば、今の会社に入って10ヶ月経ちました。ゼネコンより長持ちしてますね。

おまけ


謝辞

東京転属から転職までの間、色んな人達にお世話になりました。一緒にご飯を食べてくれた人、話を聞いてくれた人、皆様のお陰で生きてます。

この話はKMCとなんの関係があるの

最初に書いたとおり、わたしは土木卒なので、いま仕事で使っている計算機の知識は京大マイコンクラブで得たものが殆どです。大学時代はプログラマバイトをしていましたが、それもKMCのつてで行っていました。

まだ北海道の現場にいた頃、KMCの先輩たちが来てくれて泣きそうなくらい嬉しかった。

部室で「トイレが汚いから掃除するぞ!」と宣言したとき、一緒に手伝ってもらえるような人たちがいる集団は、本当に貴重だと今あらためて思います。

おわりに

職種は変われど、多くの人たちと協力してものづくりをしていることに変わりはないし、わたしたちの作ったモノが多くの人たちの手に触れるという点において、土木であってもITであっても同じなんですよね。

なので、ゼネコン時代の経験が全部ゴミ箱、ということはないと思っています。ただ、いかんせんサビ残騒動と色塗り生活は駄目でした。この状況、インターン行ってたら見抜けてたのかなぁ、とか、スーパーゼネコン入ってたらもう少しマシだったのかなぁ、とか色々思うけど、まぁ九ヶ月でトンネル橋梁で現場内勤研究所と一通り見れたのは経験になったのではないか、という気もして、特に感情はありません。


今でも、最初の現場がサビ残騒動なければ北海道の山奥でトンネル掘ってた可能性はそこそこあると思ってます。


で、明日は近所に越してきたuiureoニキ。
誕生日おめでとうございます!!!!111111111初任給で叙々苑奢って!!!!!!111111→記事

*1:2016/12/15 0:17 記事を確認したのでリンクしました。

*2:やったのは、せいぜいESP8266に温度計繋ぎzabbix_senderで温度ログを取るぐらい。Qiitaの記事を幾つか参照したら瞬殺でしたので記事に書くほどでは。。。。

*3:トンネル切羽の最先端のこと。